Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, pp.136-139.
「阿吽の呼吸」(un tandem parfait)
これって,ぜんぜん翻訳じゃないんじゃない?というお叱りは甘んじて受けようと思います.本節の原題を直訳すると,「完璧なタンデム」.タンデムというのは18世紀に英語からフランス語に入ってきた語で,ラテン語からの「まさにその時,同時に」の意味を受け継いだ英語とは異なり,フランス語では初めから,2頭馬車とか,二人乗り自転車,そこから「緊密なコンビ,ペア」の意味だったようです.日本語には,仲の良い二人を表す,中国経由の語がたくさんあります.そうでなくても,最近ではテレビの人気シリーズから,「相棒」なんてのもあるわけで,どれを使ったら一番ピッタリくるんだろうと,ほんの数秒は考えてしまいました.で,やっぱり,阿吽がいいかなぁと.サンスクリット語に由来する仏教用語なのですが,対極にある二つのものがピタリと重なり,一つの呼吸をするイメージです.イラストと文が奇跡的にピタリと結びついて,一つの意味を作り出す.そんな『プチ・ニコラ』の作者二人にピッタリではないですか?翻訳じゃなくて,解釈と意味の押し付けだとしても.
「僕らはすっごく仲が良い友だちだったんだよ.年中,顔を合わせていたし,話もよくした.僕はよく,自分の子ども時代のことや学校の話をしていた.もちろん,ぜんぶ作りごとだったけどね.そこからは,ルネの想像力さ.ルネは聞いたことは何でもかんでも『プチ・ニコラ』のお話に変えてしまう.お話を書いたのルネだし,場面設定も彼,ほとんどぜんぶルネが作ったものだよ.僕らの二人三脚は驚くほどうまく行っていたよ.」(サンペ)(p.136)
最後の「二人三脚」は,題名にある「タンデム」の語です.流石に,「阿吽の呼吸」が上手く行っていたよ,とは書けませんからね.でも,二人でギーコギーコ,阿吽の呼吸で二人乗り自転車をこぐ様子が浮かんできませんか?このページには,電話をしている二人の写真と,電話で話すニコラとアルセストのイラスト(138)が並べて置かれています.イラストはすでに本ブログで紹介したし,写真はたまたま電話をしているそれぞれを組み合わせただけでしょうから,タンデムの証拠とするにはどうかと迷ったのですが,電話をしている二人が本当にこの組み合わせで話しているみたいに親密で嬉しそうだし,イラストも二人の写真と見事にシンクロしているし(特に黙って聞いている,物静かなゴシニ),ここは著者の戦略に乗っておきましょう.↓です.
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「イラストの居場所」(place au dessin)
「しばしば,サンペはゴシニの書く文を読む前に,どんなイラストにするか思いつく.というのも,ゴシニはすでに話の結末まで承知しているので,サンペは話を聞かせてもらいながら,いたずらっぽくサラッと書いてみせることさえできた.話を聞くと,今度はサンペの出番だ.言葉や場面設定を見る.すると,イラストのイメージが浮かんでくる.『僕は読んでから,イラストの提案をするんだ.あんまりたくさんじゃダメだよ.だってたくさんつけると,高くなっちゃって雑誌が大変なことになる.だから,イラストをたくさんつけるのは,あんまりお勧めされないんだ.僕はすっごく怠け者だからね.それで怠け者の常として,がむしゃらに描く.だって,自分じゃきちんと計画的にってのができないからなんだ.『プチ・ニコラ』に関していえば,締め切りまで休まず,何度も描き直していた.あのイラストには,とことん苦労したね.』」(p.137)
つまり作品としては,1)ゴシニが構想あるいはあらすじを口頭で伝える,2)ふんふんとサンペが聞きながら,時には,こんな感じ?とサラッと描いてみせる,3)ゴシニが文を書き,4)サンペがそれを読んで,イラストをつける,こんな感じで作られていたようです.すると,本書に時折挿入される,一字の修正もないタイプ原稿はあくまで決定稿で(例えば,本節にも「歯」(la dent)(162)の原稿の写真が掲載されています),サンペは場合によっては,この決定稿を読む前に,ゴシニの語り聞かせから着想を得て,描き始めている可能性もあるわけです.時折,文の描写とイラストの表現にズレが生じるのは,そんな創作手続きのせいと考えられるでしょう.そんな創作過程を踏まえていれば,文とイラストが合わないとか,イラストが正確ではないなんて,的外れな非難となりそうです.
p.139より.
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