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執筆者の写真Yasushi Noro

『「プチ・ニコラ」大全』(11)

更新日:2023年3月24日

Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, pp.114-p.118.


「ゴシニはクビになり,サンペは連帯する」(3)

本項目の前回までのあらすじ:1955年に始まったマンガ版『プチ・ニコラ』は1年足らずで連載中止となる.それはシナリオライターの待遇改善を求めて,作家が連帯していたから.ゴシニはその中心人物とみなされ,掲載先であったワールド・プレス社をクビになる.マンガ家ユデルゾなども連座して退職.イラストレーターのサンペも同社を去ったために,連載終了.その後,様々な仕事をこなしながら,ゴシニたちは別会社Édifrance/Édipresseを創立.新たな一歩を踏み出す.



 それで今回は,その新たな一歩と,文章版『プチ・ニコラ』の連載が始まるまでの間の期間のお話です.その間に何が起きたかというと,ずばり「剽窃」(の疑い).つまり,マンガ版『プチ・ニコラ』にそっくりな,あるいはよく似ている作品が出てきたのです.ゴシニとサンペにしてみれば,もちろん,寝耳に水.これは捨て置けないということで,直ぐにその『プチ・ニコラ』風作品を描いた人物<の父親>に抗議文を認めます.ん?<の父親>?そうなんです.二人がよく知っている人物の息子が作者でした.今回扱う箇所(pp.114-118)では,抗議文と返信が全文引用されていますので,チラチラ参照しながら,もう少し詳しく状況を説明しておきたいと思います.

 1958年のある日のこと,『キリスト教パノラマ』誌(Panorama chrétien)という名の月刊誌に,『ブービ』(Bouby)と題されたマンガが掲載されました.「ブノワ」と記された作家の本名はブノワ・ジラン(Benoît Gillain(1938-2016)).本書には当時18歳と書かれていますが,掲載時は19か20歳だったでしょう.処女作かどうかはわかりません.しかし,新進気鋭,若手のマンガ家であったのは確かです.

 ちなみに本書では掲載誌『キリスト教パノラマ』誌は,現存する批評誌として有名な『テレラマ』(Télérama)の「前身」(« ancêtre »)と書かれていますが,これは,マンガ家としてのブノワ・ジランを紹介したインターネット上の情報*を,そのまま受け入れた記述のようです(2023年3月22日参照).勘違いではないでしょうか.

 『テレラマ』は1947年にジョルジュ・モンタロンが創刊した週刊誌です.『キリスト教パノラマ』はその名の通り,キリスト教に関連した情報を扱う1957年に創刊された月刊誌でした.創始者はガストン・クルトワ,フルリュス出版社(édition Fleurus)を立ち上げた神父さんです**.

 ですから,多分,『テレラマ』とは無関係だと思います.


 さて,作家の「ブノワ」さんですが,これは本名に由来する筆名で,本名はすでに記した通りブノワ・ジランです.ベルギーやフランスのBDに詳しい人なら,この苗字を聞けばピンときます.ブノワの父親はジョゼフ・ジラン(Joseph Gillain),筆名ジジェ(Jijé)(イニシャルのJGのフランス語読みに由来するのでしょう).生前からレジェンドと仰がれた,BD界の大物です.代表作は『ジェリー・スプリング』(Jerry Spring)というカウボーイ・西部物ですが,我が国では作品も作家もほとんど知られていないでしょう.

 『ブービ』は同誌に数十話掲載されたようです.p.114に,その内の1話が転載されています.

 12コマ,父親と息子,息子のヘマあるいは悪ふざけの対応をするパパ・・・.構成も設定も『プチ・ニコラ』そっくりと言われても仕方ないような.おまけに自転車の話(新しい自転車を買ってもらう話は,マンガ版『プチ・ニコラ』にもあります***.一応見ておきますか.

***Sempé-Goscinny(Agostini), Le Petit Nicolas La Bande dessinée originale, IMAV éditions, 2017, p.34.


 さすがに,サンペの絵をそのまま,とはいきません.

 ブノワの父親であるジジェとゴシニは,1940年代にニューヨークで知り合いになっています.ゴシニはジジェの人気シリーズ『ジェリー・スプリング』にシナリオを提供したこともありました.それは« Jerry Spring, L'Or du vieux Lender »の回で,ジジェはかなり自由にシナリオを改変してしまったそうです.それが,二人のコラボがたった一回きりだったことの理由かどうかはわかりませんが.

 ゴシニとサンペは連名でジジェに抗議しました.


「誰に聞いても,このシリーズ〔『ブービ』〕と僕らの『プチ・ニコラ』シリーズがとてつもなく似ている,と指摘を受けます.ブノワは形式と発想を変えた方が良いな,と僕ら二人とも考えています.それが彼と僕ら,みんなのためでしょう.」(p.115)

(1958年1月16日付,ゴシニからジョゼフ・ジラン(ジジェ)への手紙)


 批判するのにも,ゴシニはあくまで丁重な言い回しをします.


「要するに,「ブービ」少年は「プチ・ニコラ」君にそっくりなのです.まったくサンペが描いたような絵を背景として動き回っています(登場する隣人はサンペではなく,バラ****による創作です).シナリオについてですが,あれはブノワが試しに描いてみればどうか,と私が用意したものの一つでした.ですが,だいぶブノワが手を入れています.

 掲載されるならされると,前もって私に知らせてくれたらよかったのに,と思うのです.」(id.)(同上)

****バラ,本名ギ・ウィレム(1923-2003).マンガ家.代表作は『探検家マックス』(Max l'explorateur)で,セリフのないギャグマンガです.(2023年3月22日参照)


 周りも似ていると言う.本人たちもそっくりだと言う.況や,シナリオライターの地位向上のために,会社を辞めたばかりのゴシニが,自分のシナリオの一つを勝手に使われる.盗用かどうかは,当事者本人が認め謝罪しない限りは決着がつかないかもしれませんが,最低でも,シナリオを勝手に使用し,改変したのは先方も認めるところですから,著作権を蔑ろにされたゴシニとしては,憤懣やる方なかったのでは?と心中お察しします.

 結論から言うと,ジジェは剽窃は認めず,ブノワはサンペ,ゴシニと食事をし,登場人物に変更を加える約束をしたそうです.これで事件は終結しました.

 後になって,ブノワ自身,次のように書いているそうです.


「〔僕が〕『ブービを作ったんだ』.この登場人物は,『サンペの描いたプチ・ニコラにほんの少しだけ似ていた』.それに,ゴシニが僕に幾つかのシナリオを書いてくれたんだ.」(p.114)

René Goscinny, profession : humoriste, G. Vidal, P. Gaumer, A. Goscinny, éd. Dargaud, 2018に引用されているそうです)

 

 本書の著者は,少なくともこの断言はありえないと書いています.ゴシニは執筆するときには,タイプライターにカーボンを挟み,必ず複写を取っておいたのですが,残された原稿からは『ブービ』用が見つからないと言います.『ブービ』には,署名もないし,原稿料が支払われたという記録もない.


「ゴシニは勘違いしていたんだ.郵送時に二つのシリーズをごっちゃにしていたんだよ.」,とブノワは断言している.ありそうもない.なぜなら,ゴシニは一度たりとも『ブービ』の作者を自認したことがないし,ブノワ・ジランにシナリオを送る理由もないのだから.(p.114)


 繰り返しになりますが,真相はわかりませんし,私に判断できるはずもありません.ただ,以下に見るジジェからの返信には,何かモヤモヤしたものを感じてしまいます.文中でジジェは,息子の連載している『ブービ』シリーズは,父親であるこの私の目の前で準備され,監修もしているのだからと,強弁しているので尚更モヤモヤします(個人的には,それって作家の権威と信頼を除けば,剽窃かどうかとは無関係な気がします).


「君は1月16日付の君の手紙で,ブノワがサンペの剽窃をしたと非難しているが,僕としては君に,正常な判断力を取り戻してほしいと願うばかりだ.(・・・略)

 ニコラとブービには類似点がある.二人とも少年だし,二人とも口が一つ,目が二つ,耳が二つついていて,顔の真ん中あたりに鼻が一つある.このように類似点を並べていったら,一体全体,幾つのシリーズが挙げられるだろうね.(・・・)」(p.116)

(1958年1月17日付,ジョゼフ・ジランからルネ・ゴシニへの返信)



 決着はつかないのですが,ゴシニの手紙にも,ジジェからの返信にも,一つ興味深い事実が明かされています.


「ともかく,われわれ二人の作った『プチ・ニコラ』シリーズに着想をえた『ブービ』シリーズが雑誌に掲載されるのを見過ごすことはできません.というのも,われわれはシリーズを再開するつもりだからです.あいつらは卑劣だ,ブノワの作品を剽窃したぞ,なんて,われわれの方が非難されでもしたら,そりゃおかしいって君も言うでしょう?」(p.115)

(ゴシニからジジェへ)


「君からの手紙によると,君らは『プチ・ニコラ』を再開するつもりらしいねぇ〜.そりゃ,みんな大歓迎だろうさ.デュピュイ氏は一番に喜んでくれるだろうよ.だがそもそも,かち合っちゃうかも,なんて金輪際ないよ.ブービは元々,バジルという名だったけど,あぁ可哀想に!デュピュイ氏がボツにしたんだ.それには明々白々の理由があってね,「シナリオが貧弱だし,カエルのような顔をしているし,ギャグがありきたりで,飛び抜けたユーモアにも欠けている.特に隣人との会話の場面はちょっと重たい」「ギャグが貧弱で,オリジナリティに欠ける」だそうですわ.」(p.117)


 ジジェは剽窃を認めるどころか・・・.これではまるで,大元のゴシニのシナリオの出来が悪かったと言わんばかりではないですか.私はもう,読んでいるのが嫌になりました・・・.

 私の感情などはどうでも良いことで,重要なのは,1958年の初頭には,ゴシニとサンペの間で,すでに『プチ・ニコラ』再開の話し合いがなされていたことです.でも,サンペはあれだけマンガを嫌がっていますし,ゴシニはといえば,その後の活躍を見る限り,マンガ家へのシナリオの提供がメインのようです.共同作業を再開するとして,二人の落とし所はどこにあるのでしょうか.結局それが,フランス語で「レシ」(récit)と呼ばれる,小さな物語にイラストを挿入したものとなるわけですが,そこには,マンガにない工夫が盛られなければならないはずです.どうやら文章版『プチ・ニコラ』の成功の一端は,文体(文章の評価)やユーモア(諧謔の追求)というよりは,マンガとは異なる工夫の試行錯誤に求められそうです.

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