Aymar du Chatenet, La Grande histoire du Petit Nicolas Les Archives inédites de Goscinny et Sempé, IMAV éditions, 2022, p.86-p.107.
マンガが好評で順調な滑り出し・・・に見えたゴシニとサンペの共同作業ですが,意外にも1年も経たないうちに頓挫してしまいます.それにはゴシニがクビになったから,というシンプルで残酷な理由があるので,今回はそこのところから,と思いきや,そこに入る前に,本書では20ページも,それもデカデカとマンガの紹介が掲載されていますから,シビアな話は次回に回しましょう.
まずpp.86-87には見開きで,『ムスチーク』1955年10月2日号に掲載された話*の貴重な資料が配置されています.
*マンガ版では第2話としてp.8に掲載されています.Sempé-Goscinny(Agostini), Le Petit Nicolas La Bande dessinée originale, IMAV éditions, 2017, p.8. (『本家本元 マンガ版プチ・ニコラ』(日本語未訳)) p.86上部にはゴシニのタイプ原稿(tapuscrit)が置かれています.タイプ原稿については,前々回(08)で説明しました.左右に物語の展開とセリフが分けて記されている原稿です.下部には「初校原稿第5番」(Planche originale no.5)とその裏面が並べられています.
左が「初校原稿」です.まずは白黒で一旦印刷され,鉛筆で修正指示などが書き込まれるのでしょう.そして裏返して,裏面にサンペが実際に色をおいて指示を出します.実際に色が付いて,このように↓雑誌に掲載されました.
試し刷り,変更もあるのでしょうね.例えば本文1コマ目のパパの手に持つカバンはネクタイと同じ赤色の指示がありますが,掲載時には濃い灰色になっています.ちなみに↑は雑誌からの転載でしょうから,だいぶ色褪せしています.上掲2017年に刊行されたマンガ版は↓この通りです.
紙のせいもあるのでしょうが,全然印象が違いますね.蛇足ながら,2017年のマンガ版ではこのお話は第2話目(p.8)に置かれているのですが,本書では,初回掲載時すなわち9月25日の1週間後に当たる10月2日号に掲載された「初校原稿第5番」とされていますから,第2〜4番までがあったということでしょうか.掲載順としては,それらが後回しとなったという理解で良いのでしょうかね?それはともかく,このようにゴシニの原稿,サンペの色指示など,創作の過程を見ることができるのは有難いものです.
続いてp.88には「初校原稿第6番」,見開きの右ページに当たるp.89には,やはり色をつけた裏面がデカデカ1ページを占めています.『ムスチーク』1955年10月30日掲載分のこのお話は,マンガ版第5話目(p.11)となります.p.90は「初校原稿第28番」,お隣にはその裏面(1956年5月20日掲載分).
さてpp.92-107は,当時の『ムスチーク』誌の表紙が紹介されています.やはり1ページ1枚の大きな写真で,全てサンペが描いたものです.本書のこの項目には「プチ・ニコラ,一面を飾る」と題されていますが,『プチ・ニコラ』の連載前どころか,『プチ・ニコラ』の題名のついた最初のイラストは1954年6月13日号ですから(本ブログ(4)参照),ちょっと勇足でしょうか.
「とりあえず,8時52分にブリュッセルを出発するとして,時速50キロで走るでしょ?次の列車が35分遅れて出発し,時速60キロで走る.すると後のやつは最初の列車に,何時に追いつくかね?」(『ムスチーク』1954年1月24日号)(p.92)
サンペの表紙絵,そして下には文がそれられています.車掌が運転手に説明しているところですが,私たちが小学校で算数の時間にやった計算問題のようですね.車掌の後ろで,少年(将来のニコラ?)がパンを食べながら黙って聞いています.さて,この問題,大人(運転手さん)なら簡単に解けるのでしょうか.子どもの時に習得する算数の知識や教育の大切さを伝えたいのでしょうか.それとも,そんな知識の無意味さを?はたまた,子どもに勉強を強いる大人を皮肉っているのか.それはともかく,状況はすぐにわかりますし,運転手や車掌の表情も雄弁です.一見して,ユーモアが伝わるのですが,説明とは言えない一文が添えられるだけで,さらにユーモア度が高まります.上記のようにこの文だけ取り出すと,それは算数の問題ですから,このイラストと相まって初めてユーモアを醸す文となるわけです.以前,サンペの追悼のお知らせをした際に((222)-1)『パリ・マッチ』に掲載されたサンペのイラストを紹介しましたが,このようにイラスト+文という形式が,最もサンペの気質に合致していたのかもしれません.
以降の『ムスチーク』誌の表紙も全てこのような形式ですので,興味のある方は本書を覗いてみてください.もう一つだけ,1956年2月20号(p.98)を紹介しておきましょう.
「大混乱になるぜ!」(p.98)
仮装・コスプレ店のショーウィンドーには,カーニヴァル用のお面が並んでいます.「選択肢多数」と書かれている割には,紐で吊るされたお面は4枚とも同じ顔.店で買い物をしたばかりの男性と,後ろを歩く子どものつけているお面も同じ顔.はて?と目を右に向けると,何と「お尋ね者」のポスターも同じ顔.つまり,賞金付きのお尋ね者のお面を作ってしまったわけで,それで店の人たちは「大混乱になるぜ!」と嬉しそうに話しているのです.だってみんながお面をかぶって宣伝になれば,売れますからね.警察にしてみれば,えらい迷惑ですが.もちろん,このイラスト+文自体面白いのですが,これを紹介したのには別に理由もあります.それは(21)でみた,「ウジェーヌおじさんの鼻」の源泉の一つと考えられるからです.ただの雑誌の表紙,単なるユーモア・デッサンと,一回で読み流してしまうのではもったいない.『プチ・ニコラ』との繋がりも発見できるし,そもそも,このユーモアが,(ゴシニではなく)サンペに由来することも教えてくれるでしょう.
pp.102-103,そしてpp.104-105にも,やはり『ムスチーク』の表紙絵が掲載されているのですが,この箇所にはもう一つ別に,表紙の元となった小さなイラストが配置されています.
(左)『ムスチーク』誌1955年10月2日号の表紙:(右)『サムディ・ソワール』誌(1955年)に掲載されたサンペのイラスト(pp.104-105)
「ぼうず,よくやった,よくやってくれましたよ!雨が降り始めたら外しておけって,あれほど言っといたのにな!」
これについては,p.102にサンペ自身の説明があります.
「僕はユーモア・デッサンを幾つも描いていたんだ.それで時々『ムスチーク』の編集長がその中から,大体判型の小さいものだね,一枚選んでね,それで僕に週刊誌の方の表紙にするから,これを大きくしてくれって頼んで来る.それで僕は拡大して,色をつけていたんだ.」(p.102)
同じ系列の会社の雑誌だったから可能だったのでしょうか,それとも今とは違って,もっと自由に他社の雑誌に転載できたのでしょうか.いずれにせよ,そんな,上のようなパターンもあったようです.いつか,サンペのイラストが網羅されて全集が出るようなことがあれば,もっとたくさんのユーモア・デッサンを楽しめるでしょう(今のところは,難しいのでしょうねぇ・・・).
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