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執筆者の写真Yasushi Noro

『プチ・ニコラ』(90)

« Souvenirs doux et frais », HIPN. vol.1, pp.42-49.

 「懐かしくもはっきり覚えている想い出の数々」という題名ですが,「懐かしくも」に当たる語はdouxで,女性形ではdouceとなるちょっと変わった形容詞です.食べ物に使ったりすると「甘い,柔らかい」という意味で,やはり昔の「想い出」は甘くせつなく美しく,「甘美」なのでしょう.そう一つの形容詞fraisには「涼しい,新鮮な」などの意味がありますが,想い出と一緒になると,「[記憶などが]生々しい,鮮明な」と訳せます.ですから,本話は,パパの甘く懐かしい想い出,昔のことだから懐かしいとはいえ,今でも鮮明ではっきりと覚えている想い出がテーマです.でも,「甘く鮮明な想い出」ではなかったようなんですが.

 パパは或る日,かつてクラスメートだったレオン・ラビエールさんと再会して意気投合.それで「甘く鮮明な想い出」話をしようと,次の日の晩餐に招待したそうです.


「レオンはね,パパが子どもの頃の友だちなんだ.一緒の学校だったんだよ.二人とも懐かしくてね,想い出もはっきり覚えているんだ(« Combien de souvenirs doux et frais nous avons en commun ! ».明日の晩の夕食に誘ったよ.」(p.42)


 原文のところ,文字通りには「二人は,どれほどたくさんの甘く新鮮な想い出を共有していることか!」となります.ポイントは実は,「想い出」の方ではなく,「「共有している」の方にあります.お話の最後でママンが全く同じ表現を繰り返して,パパをからかうからです.その時には,同じ語,同じ表現の意味がまるで変わってしまうというわけです.それは読んでからのお楽しみとなります.

 ラビエールさんをお迎えするので,ニコラ家では大騒ぎです.8時にくるところを7時から用意したり,ニコラをお風呂に入れてきれいにしたり,整髪料をたっぷりつけて髪を撫でつけたり.お迎えするにあたって,パパからはたくさんの注意点と一緒に,ラビエールさんについても聞かされました.


パパによると,「レオン〔ラビエールさん〕はすっごいやつだったさ(quelqu'un de terrible).だから人生でもすごく成功したんだ.パパのいた学校でもひときわ目立っていたんだ.とにかくやつみたいなのは,そうそう出るもんじゃない」んだって.そこまで聞いて,玄関のベルがなった.(p.42)


 「すっごいやつ」というのは,quelqu'un で通常は「誰か」,英語で言うとsomeoneに当たる表現なのですが,「一角の人物」と言う意味もあるので,「すごい,恐ろしい」terribleと組み合わせて,「恐るべきすごい人物」と,まぁちょっと大げさな表現となっています.

 本話にイラストは2枚あるのですが,その1枚目がラビエールさんの到着の場面です.



 このお話の初出の年代も是非知りたいところです.というのも,前々話(88)とその前のお話(87)と比べて絵がこなれている印象を受けますし,さらには一枚のイラストに複数の場面を描きこんで一目で展開を把握させるというサンぺの絵の特徴が見事に現れているからです.この一枚には4つの場面が同時に描かれています.一番手前にはくつろぎの空間を表す肘掛け椅子が二脚据えられています.食前あるいは食後にタバコを吸いながら,食前酒(アペリチフ)や食後酒(ディジェスチフ)を飲むための一角です.もちろん机の上にはお酒が並んでいます.横にあるのはシガレットケースかも?その肘掛け椅子の向こうには,なんと!到着して挨拶しているラビエールさんとパパが描かれています.アペリチフの椅子が玄関に置かれている家なんて絶対にありません.ですから,これは2つの別々の空間なのです.画面向かって左には,ママンとニコラがいます.ニコラはお客さんを迎えるためにおめかしし,ママンはネクタイを締めてあげているところです.文章では寝癖のついた髪に整髪料をべったりとしか書いていませんが,きっとネクタイも締めていたのでしょう.いつもの文とイラストの不一致です.画面右にはもう食事の支度ができています.シャンデリアからもテーブルスタンド(室内灯)からも明かりが煌々.明るく楽しい食卓が演出されています.もう受け入れ準備万端といったところです.

 これが2枚目となると,だいぶ雰囲気が変わります.


 1枚目で到着したばかりのラビエールさんも,2枚目の食卓のラビエールさんも,これでもか?!というくらい大きな口を開けて,愉快に笑っています.ところが1枚目でやはりニコニコ,お客さんを出迎えたパパは笑っていたのに,2枚目のパパは顔をしかめています.何やら気に入らないことがある様子.ママンに手伝ってもらって準備していたニコラが無表情なのに対して,食卓でラビエールさんの話を聞くニコラはすごく楽しそう.この1枚目と2枚目の違いはどこから来るのでしょうか.

 それはもちろん,ラビエールさんのする「甘く鮮明な想い出」話に決まっています.2枚目の吹き出しには,ニコラくらいの年頃の子どもが黒板に何やらおじさんの絵を描いています.絵の中のおじさんは,シルクハットを被り,丸眼鏡をかけて,どうやら髭も生やしているようです.何より,威厳たっぷりで偉そうな感じが漂っています.ところが!ラビエールさんの想い出話によると,これはパパとラビエールさんの小学校時代の先生だそうです.


「パパが担任の<女の>先生を漫画にし,ちょうど描き終わったときに先生が入ってきたんだ.先生はパパに0点を3つもつけたんだよ.」(p.47)


 <女の>先生だったのね・・・そりゃ似てるとか似てない以前の問題で,怒りますよね,普通は・・・.

 イラストに戻ると,ラビエールさんは右手で頭を支え,左手でパパを指差しているので,吹き出しの中の子どもが,子ども時代のパパだということがわかります.右手は大笑いを必死に抑えている動作でしょうか.おかしくてしょうがないといった風です.それで笑い者にされたパパが不機嫌な顔をしているというわけです.そういえば,フォークでハムを取ろうとしている手が止まっています.口はキュッと閉まり,眉も顰めた感じです.吹き出しの中の少年は笑顔でいっぱいなのに.

 と,まぁ,こんな具合に,ラビエールさんは昔話に花を咲かせています.まさに,「懐かしくも鮮明な想い出」を100%展開している感じです.それも,どうやらパパにはあまり有り難くない想い出ばかりのようです.なぜなら,それぞれのお話のオチが必ず,パパが「0点」くらった話だからです.パパにとっては不名誉極まりなく,「甘く」もないし,できることなら「はっきりと覚えて」いたくはない出来事の数々です.

 あんまり失敗話ばかり出てくるので(でも,人の失敗話やからかう話の方が面白いでしょう?),ラビエールさんのにこやかな表情に反比例するかの如く,パパの表情はだんだん曇ってきます.そんなパパの顔色に気づいたママンは食事を出すスピードを上げて,早く帰らせようとしているようです.パパも追い出しにかかります.それでニコラがデザートのタルトを背広の上着の上に落としてしまっても何も言いません.

 それでラビエールさんが帰った後,パパとママンが晩餐を振り返ります.


「あなた方お二人は,懐かしく鮮明な想い出をたくさんお持ちのようね(« Combien de souvenirs doux et frais vous avez en commun ! ».」と,ママンが言った.

「もういい,もういいったら!」パパはあまり嬉しそうじゃなかった.「あんなレオンのやつなんて,もう二度と会うつもりもないね.」(p.49)


 ママンの言葉が発話者を変えただけで(nous→vous),冒頭のウキウキしたパパのとそっくり同じ言葉を繰り返しているのがお分かりでしょう?ママンはパパをからかっているんです.相手に皮肉をいう,ちょっと楽しげな夫婦の会話といったところでしょうか.痛いところを突かれたパパは,「もういい,もういいったら!」とママンの言葉を遮ります.ラビエールさんにとっての「懐かしく,今でもはっきりと覚えている想い出」は,パパにとっては「懐かしく」もなく,「鮮明」でもなく,むしろ触れてほしくない「想い出」だったのです.それで,ママンはパパの言葉を逆手にとって,「共有している」(en commun)とそのまま使いながら,その実,全く共有されていないのねと仄めかしているわけです.いつも,成績がよくスポーツマンで,他の人のお手本だったと,ニコラに自慢するパパの権威は,そんな想い出話で地に落ちてしまう・・・と思いきや,KYなニコラはそんなことを気にするようなちっぽけな子どもではありません.


僕はね,ラビエールさんともう二度と会えないのはさみしいな.どちらかっていうと,おじさんは面白い人だったからね.

 それに,今日は僕,学校で0点をもらっちゃったんだけど,帰ってからもパパからはお咎めなしだったんだ.〔ラビエールさんのおかげだよ〕


 ラビエールさんのお話の中に,パパが何度も0点をもらった話が出てきたので,パパはしばらくはニコラに何も言えなくなったということでしょう.パパにとって子どもの頃のことは,甘くもなくできることなら鮮明であってほしくない想い出だったようです.








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